【インタビュー】「アンリ・バルダ」(ムジカノーヴァ 2008年12月)聞き手・構成 青柳いづみこ

楽譜に秘められたストーリーを知るまで
勉強をつづけなければなりません。

ききて・構成 青柳いづみこ

元パリ音楽院教授で、エコール・ノルマルで教鞭をとるかたわら、各地で公開講座を開き、熱い指導ぶりが評判のアンリ・バルダ。エジプトのカイロ生まれ、レシェティツキ門下の先生に薫陶を受け、パリ音楽院でラザール・レヴィ、ジュリアード音楽院ではウェブスターに師事した。19世紀的な解釈をベースに、テキストの深い読みで「たった今自分がつくった曲のように弾く」がモットーである。ピアノ教育と演奏解釈について伺った。

--教え始めたのはいつごろからですか?
ジュリアード音楽院を卒業したあと、1970年代はじめ、フランスの地方音楽院で教え始めました。子供たちが多かったですが、パリ音楽院のようなプロフェッショナルな教育期間ではなかったので、他に職をもちながら音楽を学んでいる人もいました。

--子供たちの教育で一番留意したことは、どんなことですか?
単に練習するだけではなく、たくさん音楽を聴かなければならないということをわかってもらうのに苦労しました。彼らが弾いているピアノ曲というのは、必ずしも音楽の頂上にあるわけではなく、オペラなり交響曲なりを縮小した形でしかないことも多いからです。ときには、楽譜に書かれていないものを弾くことも可能です。
--書かれていることをきちんと読んで弾きなさいという指導が主流ですが・・・。
バルダもちろん、楽譜は作品にアクセスする唯一の手がかりですが、音楽じたいは印刷された音符の中にも、指の中にもありません。もし解釈に耳を参加させないと、単なる従順な演奏になってしまいます。指の教育だけが先走りしているように思います。

--先生のレッスンでは、今弾いている曲を別の調に移してごらんなさいとおっしゃるので、生徒たちがびっくり仰天するようです。
まさに、指だけで弾かないためにそうしているのです。黒鍵と白鍵の組み合わせ、指の位置などを忘れ、耳で音楽をつくるために移調するのはとてもよい方法です。私自身も解釈に行き詰まったときなど、移調して弾いてみます。すると、人為的なもの、意図的なものがすべて消え、音楽そのものがたちあわられてくるのです。

--生徒の弾いている曲からバスやハーモニー、リズム要素などを抽出して即興で弾き、骨組みをきっちり理解させるレッスンが印象的です。
ピアノ曲にはアルペジオが多いですが、そんなものは装飾しているだけでいくらでも足せます。大切なのはハーモニーです。シンプルな形にして弾いて見せるのは、その奥にあるエッセンスを示したいからです。記憶だけでデッサンするようなものです。でも、生徒たちにそういうことを認識させるのは簡単ではありません。

--先生の指導法は、経験を重ねるうちに確立されてきたものですか?
もっと根源的なところからです。私自身、もっとも自然に音楽と対峙していたのは、5歳のころだったと思います。専門的に学ぶようになって、何かが死んでしまったような感じがずっとしていました。いつも、最初にその音楽を聴いたとき、楽譜を読んだときの心に立ち戻りたいと思っています。新鮮さ、驚きを思い出そうとしています。

--先生は特別な耳をお持ちで、幼いころから音楽を聴いただけですぐに弾くことができたと伺いました。
ですから、私の教育法は単なる理論ではなく、体感し、実践してきたものです。私自身、演奏するときは、可能なかぎり耳と心で聴いて弾こうとつとめてきました。

--公開講座には小学生から音大生、ピアニスト、教育者までさまざまな方が参加していますが、それぞれの生徒たちがかかえる問題点を的確に指摘されますね。
テクニック的には驚くべき水準に達しています。しかし、表現に自発性が足りず、ある種の硬さを感じることはあります。書かれている表情記号に盲目的に従いすぎて、気持がはいっていないものはすぐにわかります。どうしてそういう表現をするのかきいてみることがあります。答えられないときは、やらないほうがよっぽどいいと言います。

--たしかに、先生のレッスンでは、質疑応答の光景をよく目にします。
過剰な表現というのは、山しかない国のようなものです。たとえ作曲家が指示したものであっても、「アジタート」と書かれているところで、音符がすでにじゅうぶん「アジタート」していて、二重なぞりになってしまうことがよくあります。書いてある通りのニュアンスを盲目的に守ると、さじ加減を間違えるのです。テンポや強弱の変化は、その音楽の流れや楽器の範囲内にとどまるものでなければなりません。

--ラヴェル『水の戯れ』の最後には、「遅くしないで」と書かれていますね。
音楽じたいが何を望んでいるか、です。水のしずくが落ちてくるような部分では、音楽が自然に鎮まるところなのでテンポは自由だと思います。しかし、しめくくりのアルペジオは、波が渦をまいているわけですから、遅くするのは自然の摂理に反しています。

--先生は、「楽譜に忠実」という考え方には必ずしも与しないということですか?
説明しましょう。作曲家がいて、彼の頭の中にアイディアがはいっています。それから楽譜があり、演奏家がいます。私は、作品に秘められたストーリーを読み解くことによって、楽譜を越えて作曲家のアイディアに迫りたいと願っているのです。
だからといって楽譜を研究しなくていいと言うことではなく、まったく反対です。秘められたストーリーを知るまで勉強をつづけなければなりません。私はいつも、勉強というのは永遠+一ヶ月だと言っています。決して終わることはありません。

--12月のリサイタルでは、ベートーヴェンの『作品101』を弾かれますね。
内省的なソナタです。私にとって演奏とは、ステージ上での孤独な、音楽と対話することです。聴衆によって自分の最善をつくす機会を与えられ、ひとつのフレーズを、まるで自分が書いたように弾こうと努めるのです。
1969年、ホロヴィッツがこのソナタを弾いたときのことを思い出します。第1楽章の冒頭では、一輪のバラが鍵盤上で咲きそめるのを見て、その香りを嗅いだような気がしました。コピーではなく、同じような感覚を聴く人に与えたいと思って勉強しています。

--楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

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