「曲の解釈 和の心生かして~ショパンコンクール 日本人振るわず~」(朝日新聞大阪版 2010年11月10日文化面)

ショパン生誕200年に当たる今年、第16回ショパン国際コンクールが10月にワルシャワで開催された。世界で最も権威あるピアノのコンクールとして知られ、日本は、国別では最多の17人が予選出場権を得たにもかかわらず、1980年の第10回以降は毎回出ていた入賞者が途絶えてしまった。それどころか、本選手前の三次予選にも進めなかった。

ピアノ関係者のショックは大きい。筆者が理事をつとめる日本ショパン協会でもこの話題で持ちきりだった。会長の小林仁氏は、日本人はハーモニーの変化を感じとる耳、リズム感など基礎力が十分でないと語る。きちんと弾いているが個性、色彩感が足りないので、他のアジア諸国と比べてもインパクトに欠けるという声も多かった。

お話を伺っているうちに、筆者がピアノ教育の現場で感じていた問題点が大事なところで露呈してしまったと思った。日本も国際化が進んでいるように見えるが、西洋音楽の文法のようなものは意外に浸透していないのである。日本語ならすぐにわかるイントネーションやテニヲハの誤りも、音楽言語になると気づかれないことが多い。舞踏のリズムも勘違いしているケースを見かける。楽器をきちんと鳴らし、色彩の変化をつけるという基本的なことも、日本では長く重視されなかった。それでも、日本人特有の勤勉さ、精密な仕上げである程度の成果は上げてきたわけだが、今回は歯が立たなかった。

第16回で目立ったのは、優勝したユリアンナ・アブデーエワさんをはじめロシアの巻き返しである。強力な教育システムで精鋭を送り込んだソ連邦の崩壊によって、ピアノ界の地図は大きく変わり、中国、韓国などのアジア勢が台頭してきた。中国のユンディ・リが優勝した2000年、ポーランドのブレハッチ以外の入賞者がすべて東洋人だった05年と、ショパンコンクールも例外ではなかったが、今回は本選出場者10人のうち5人をロシア人が占め、東欧、西欧勢も本選に進んだ。逆に、予選出場者の4割を占めたアジア勢は低調だった。

インターネットで聴く限り、入賞者たちはいずれも個性豊かで、テキストを深く読み、独自の解釈を自信を持って打ち出しているという印象を受けた。さまざまな種類の音楽を十全に表現できる幅広いテクニックを身につけている。全体的に哲学的な思索を感じさせる演奏が多く、その前では、伸長いちじるしい韓国、中国人の演奏もやや底の浅いものに思われた。

審査員の小山実稚恵さんは、日本はじめアジア人が本選に進めなかったのは残念で、「その道のりは、遠いというか、先が細いのかなという感じも受けました」と語る。遠い道への新たな一歩を踏み出すために、今何をしなければならないのか。

私が提案したいのは、指導を受ける側が、自分で自分の解釈を選び取るという姿勢を身につけることである。日本でレッスンや公開講座の現場に接するたび、指導者の指摘について受講者から一切反論がないことに疑問を抱く。自分の感性や解釈と食い違うときはとことん質問してほしいのに、返ってくるのは「はい」という答えばかりだ。

西洋音楽は理詰めの芸術である。教師の解釈を鵜呑みにするのではなく、自分で資料を調べ、作曲家の真意をしり、行間まで読み取ってほしい。
欧米に追いつけ追い越せと頑張ってきた日本のピアノ界だが、最近では中国や韓国の後塵を拝することが多い。アジア諸国の音楽家に共通しているのは、よい意味で民族的な誇りをもち、自分たちの特性を演奏に反映させようとしていることである。

日本が世界に誇る美質は繊細さや内に秘めた情熱だと思う。西洋音楽の文法をふまえた上で、大いに和の心を活かしてほしい。

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