【書評】村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(週刊現代 2012年1月7日号)

最高の”解釈家”が稀代の指揮者から聴き尽くした究極のインタビュー

私はピアノ弾きの端くれだが、指揮というジャンルは常に謎だった。当事者は何ひとつ音を発しないのにどうしてあれだけの人数のプレイヤーを従わせることができるのか、ひとつでどうして音が変わり、演奏が変わるのか。

村上春樹さんも小澤征爾さんに尋ねる。マーラーは楽譜に細かい指示を書き込んだから、それだけ選択の余地がないはずなのに、どうして指揮者によって違いが出るのか。細かいからこそ、演奏するほうは緊張するんですよ、と小澤さんは言う。「ここなんかでも、とりらーやーたたーん、と普通にやるんじゃなくて、とりーら・ヤ・った・たんとやらなくちゃいけない」。読むほうにまで音楽がすっと立ち上がる瞬間が見えるようではないか。

村上さんが小澤さんの録音をかけ、聴きながら論評を加えあっているところがおもしろい。小澤さんは当事者だから、指揮者やソリストの心理まで解説してくれる。それが村上さんの聴体験とぴったり重なる。

のっけからグレン・グールドと共演したカラヤンとバーンスタインが比較して、論じられるのも鮮やかだ。カラヤンはあらかじめ音楽の方向性をかっちり作る。バーンスタインは天才肌、その場で本能的に行ってしまう。カラヤンに師事し、バーンスタインの助手を務めた小澤さんが言うことだから臨場感に満ちている。

小澤さんは現場の人だから、レコード店に行くのがあまり好きではないらしい。村上さんはレコード・マニアの部類に入るが、小澤さんは村上さんを「あなたの音楽の聴き方はとても深い。いわゆるマニア的な聴き方ではない」とほめる。それを受けて村上さんは、プロとアマを隔てる壁は、相手が超一流であれば高く、分厚いものになるが、だからといって「僕らが音楽について正直に率直に話し合うことの妨げにはならない」と感じる。本書は全編にこの姿勢が貫かれていて、音楽の門外漢もその秘密の一端にふれ、共感をもてるように工夫されている。

ときどき、村上さんはやっぱり言葉の人だなと思うことがある。小澤さんとサイトウ・キネン・オーケストラが演奏するマーラーの交響曲第1番『巨人』を聴きながら、村上さんは一生懸命ストーリーを考えようとする。すると小澤さん、「だんだんわかってきたんだけど、僕ってあまりそういう風にものを考えることがないんだよね」と遮る。「部分部分に意味を求めるのではなく、ただ純粋に音楽を音楽として受け入れる、ということですか?」ときかれた小澤さんは、「じっと楽譜を見ているとね、音楽が自然にすっと身体に入ってきます」と答える。これは、本当にそう。

小澤征爾という最高のテキストを村上春樹という最高の解釈家が演奏した、究極の一冊である。

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