「吉田秀和氏を悼んで」(レコード芸術 2012年7月)

「引き裂かれた演奏家」に共感~「不可能事」を生きる中で

かつて私は、某新聞で書評とコンサート評の両方を体験したことがある。結論から先に言うと、コンサート評のほうがはるかに過酷だった。本なら好きなときに読み、読み返しもできるのだが、ライヴ演奏はその場に居合わせなければならない上に、あとからあとからすぎ去ってしまい、戻ってきてくれない。私は音を聴くそばから言葉が浮かんでくる質だが、その言葉も演奏とともに流れ去ってしまう。音を聴きながら私は、その言葉たちをリアルタイムで書き留めようとするのだが、今度は隣に座っている方に迷惑がかかる。頭の中に大容量デバイスが埋め込まれていたらどんなによいのにと思ったことか。

吉田秀和さんが、テレビの相撲観戦を使って音楽評を書く訓練をしたという、すさまじい話がある。取組が終わったあと、せいぜい三十秒、長くても二分ぐらいしか続かない勝負の経過を書いてみるのだという。一瞬にして生まれ、一瞬にしてすぎ去る点では、演奏も相撲も変わりはない。力士の動きと心理。何が勝敗の分かれ目になったのか……。その眼と集中力と記憶力と記憶を正確に蘇らせる筆の力で、 吉田さんは演奏家たちを丸裸にする。その演奏はどのようなたぐいのもので、演奏史の中でどのように位置づけられるかーだけではなく、演奏行為がその人にとってどのような意味をもっているか、という内的領域にまで踏み込んでくる。

身近なところでピアニスト論を見てみよう。吉田さんは批評のカリスマだから、とりあげるのはスーパースターばかりなのだが、少しも容赦しない。「自分の中にあり、しかも自分の行く手に立ちふさがってもいるところの何ものかと必死になって戦っている」かに見えるエッシェンバッハ、「音楽と彼の間に何かが一つはさまっている」ようなブレンデル、シューベルトで「自分でみつけた、深みにはまってしまった音楽」をやる内田光子。若いキーシンには、「もう少し、はめを外したら、どうでしょうか」と呼びかける。

矛盾を否定しない吉田さんは、相反する価値観に引き裂かれる演奏家により深いものを感じるようだ。 健康的すぎるギレリス、「スキラ社の複製画」(!)のように極彩色のアシュケナージより、線的なのに叙情的なグールド、奇矯なのに自然でオーソドックスなグルダ、豊麗華麗なヴイルトゥオーゾなのに、内向的で傷つきやすいリヒテルにひかれる。矛盾の最たるはミケランジェリだ。吉田さんのとらえるミケランジェリの演奏は、「その時、その場所でなければ起らないような、啓示」であり、「きくものをインスパイアする芸術」なのだが、そのことは、彼がとてつもない完壁主義者で、芸術的にも技術的にもこれ以上ない究極のところまで演奏を練り上げる態度と奇妙にくいちがう。「ミケランジェリという芸術家は、その矛盾の間にいて、生き、仕事をする。いや、仕事をする、つまり演奏するということは、彼にはその矛盾するものを両立さすという不可能事を生きるということにほかならないのであって、そのどちらかの一方が欠けていても、だめなのだ」(『世界のピアニスト』)

吉田さんの巨大なデバイスの項目をひとつひとつクリックするにつれ、私たちは吉田さんもまたこの不可能事を生きた人だということを知る。演奏はあとからあとからすぎ去る。のみならず、同じ演奏家でも二度と同じようには弾かない。録音とライヴではまるで演奏が変わってしまうこともしばしばある。聴き手もまた耳を変える。年齢によって経験によって「時計の針が逆に動き出したかのような」時代の流れによって。吉田さんも、久しぶりにギーゼキングを聴いて拍子抜けしたことを告白している。技術も日進月歩だ。1950年代の「卓越した技巧」は、2000年のそれと同じではない。演奏論のむずかしさは、時空を越えてカール・ルイスとウサイン・ボルトを走らせなければならないところにある。おまけに、演奏はスポーツではない。

そんななか、相撲と同じような真剣勝負でその場で起きていることを聞き取ろうとし、その演奏の過去と未来を見ようとし、それらを演奏世界と芸術世界に位置づけし、自らの美学的地図の上にも位置づけた上で、これ以上ないという究極の言語表現に昇華させる。吉田さんは四分の三世紀にもわたる評論生活で、稀にみる厳しい一刻一刻を生きてきたのだ。98歳まで横綱を張った吉田さんに、心からの拍手を贈りたい。

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