【連載】「音楽という言葉—偏屈なピアニストの繊細さ 」(神戸新聞 2012年9月29日)

今夏、神戸のさる楽器店で、フランスのピアニスト、アンリ・バルダによる講習会が開かれた。

バルダは、神戸新聞松方ホールにも出演しているからご存じの方もいるかもしれない。かの名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチと同い年である。アルゲリッチは超有名だが、バルダは超無名。本国のフランスでも、ピアニスト辞典にすら載っていないという。

経歴が少し変わっている。1941年、エジプトのカイロ生まれ、ヨーロッパの古き伝統をうけついだ先生に師事する。哲学者サイードとはピアノの同門だ。16歳のとき、ナセル大統領の政策によってカイロにいづらくなり、パリに移住。パリ音楽院を一等賞で卒業したあと、ニューヨークのジュリアード音楽院も首席で卒業している。

そんな優秀なのになぜ無名かというと、とびきり偏屈なのである。サイードがコロンビア大学で演奏に招いたとき、到着するや「自分はこんなお招きにはふさわしくない。すぐキャンセルして帰る」とだだをこね、サイード夫妻をあきれさせた。

日本に定期的に来るようになったのは10年前からだが、毎回何かしら、ホテルがいや、ピアノがいやと騒ぎを起こす。

そんな気むずかし屋が、生徒をレッスンするときは豹変(ひょうへん)して、慈愛に満ちた優しい先生になる。

神戸の受講生は、下は高校生から上はベテラン・ピアニストまでバラエティーに富んでいる。バルダは、どんな年代のどんなレベルの人にも丁寧に接する。途中で音がわからなくなっても、決して怒ったりせず、辛抱強く一緒に探してあげる。

受講する曲が少ないときは、自分からいろいろな曲を弾いてあげる。ピアノ曲だけではなく、オーケストラ曲やオペラまで飛び出すから、生徒は目を丸くしている。

楽曲の説明の仕方も独特だ。たとえば、ラヴェルの「夜蛾」という曲を教えたとき。蛾が窓ガラスにぶつかって羽をバタバタさせているような曲だが、バルダは「蛾の気持ちになってごらん」と言う。

部屋に閉じ込められた虫が考えることは決まっている。神に祈るか、逃げようとするか。我々人間がみなそんなように。

ここでにわかに、フランス近代音楽が井伏鱒二「山椒魚」の世界になる。

バルダの演奏も、とても人間くさい。あわてふためくときはめいっぱいあわてるし、間違った音もたくさん弾く。でも、ひとたび音楽に没入するや急に表情がやわらぎ、行間からえもいわれぬピュアな気持ちが流れ出てきて、聞き手の胸を打つ。

自分は、童話の「豆の上に寝たお姫さま」といっしょなのだ、とバルダは言う。ほんの些細(ささい)なことにも、ものすごく敏感に反応してしまう。

何ごとにも動じない強靱(きょうじん)なピアニストが増えたこんにち、バルダの繊細さはかえって貴重だ。

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