【書評】「無邪気と悪魔は紙一重」図書新聞 2002年6月29日 評・雨宮慶子(詩人)

融通無礙な取り組みで語り口も、装いも
出し物によって工夫が凝らされる

比較文学論をはじめ、文学、音楽双方への新しいアプローチの可能性を含んだ実に洒脱でタフな一冊

作家の出自が殊更なヴァリューを持って鑑賞(干渉)に耐えたのは、あるいは、作品の読み取りにいくばくかの貢献度を持ちえたのは、こと日本に限ってみた場合、いつごろのどなたまでのおはなしであったのだろうか。作家の神話も、「文壇」も大方は消え失せ、見渡せば、野外活動を抜きにして語るに足る「文士」ぞいずこ。まさに「ギロチンしゅるるる」で、読書の快楽もいきおい転向余儀なくされていたところであった。

話がフリルになるので折れるが、『無邪気と悪魔は紙一重』の作者のご母堂の更年期の愛読書は、「ひとつモーリャック『夜の終わり』、もうひとつはトーマス・マン『欺かれた女』」であるそうで、環境というものを久しぶりにまっとうに眺めてみる気分になったことと、「GAKUTOのポスターの貼ってある書斎で母が更年期に愛読していたのは、文庫版の『くっすん大黒』でした」では、ファム・ファタルどころか『道化の華』ではないかと自らを省みた。

青柳いづみこ氏、といってもぴんとこない人のためにも格好なイントロを引用してみよう。

「太宰治が最後に私の家――正確にいうと、中央線沿線の文士がつどう阿佐ヶ谷会に会場を提供していた祖父青柳瑞穂の家だが――に来たのは、祖母が青酸カリを飲んで死んだ通夜の日だった。これも正確にいうと、門の前までは来たが、どうしても中にはいれなくてひきかえしたという。駅には山崎富栄を待たせていた。心中は、その二か月後である。当時私はまだ生まれていなかったから、これはもちろん、母からきいたことである。」

凄まじい描写力である。この五行の伝達する情報量と、クオリティに脱帽するか、あるいは「うっ」とこないお人は、まあ文学なぞやってみようかと誤った考えを持たないほうがよい。

著者がいかなる係累に連なるかという認識もさることながら、五行中、繰り返される「正確にいうと」、そのリピートを挟んで、「太宰が最後に私の家」に「来たのは」から、「門の前までは来たが」という叙述に含まれる水をはったような冷気、最後までイン・テンポのまま、文字通り顔色ひとつ変えず枝葉を削ぎ落とし、まったく無駄のない整った文体で着地するのだが、太宰のいかんともしがたい意気地のなさに歪んだ顔色の悪さまで彷彿させる再現力とともに、母から娘に語り伝えられたエピソードの、話題の対象への辛辣な目線が几帳面な五線譜のようにながくひきのばされその五線の色が読み取りいかんによって様々に変化してくることに「ゾクリ」とさせられるのである。一旦は太宰にクローズアップしながら、「祖母が青酸カリを飲んで」の一行の配置によって、文意全体の主点で微妙に覆る。読者の側の文学的興味が先行すれば、読み落とされそうなさりげなさだが、ここからひらけていく深淵、本書の主題となる「宿命の女(ファム・ファタル)」の楽屋口が鯨幕からのぞく瞬間を生け捕りにしている。

太宰を狂言回しに使ってはじまる劇は、やがて古今東西の世を風靡したテキストから、オペラの素材、はてはB級ミステリィの登場人物までを呼び込んで融通無礙な取り組みで語り口も、装いも出し物によっての工夫が凝らされる。鮮やかな筆さばき、指さばきは、風俗現象や現今のジェンダーの揺らぎまで張りめぐらされ、大胆な解釈がほどこされていて、これは読み物としててきめんの面白さもさることながら、比較文学論をはじめ、文学、音楽双方への新しいアプローチの可能性を含んだ実に洒脱でタフな一冊なのである。

さて、肝心のファム・ファタルについて少しばかり種あかしを聞いてみよう。「別に特殊なテクニックをそなえていなくても、女性なら誰でも、自分の網に男たちがひっかかった瞬間を肌でおぼえているし、同性たちの誘惑のからくりも本能的に察知するものだ。」と勘どころを呼び覚ましながら、青柳は水と相性のよい音楽、殊にオペラに登場する水の精を、「その誘惑の方法別」に、四種類に分類した前著の方法を今回も応用させている。「網をはる女」「出かけていく女」「ひきずりこむ女」「何もしない女」、オペラの主人公になぞらえると順に、ウンディーネ、オンディーヌ、セイレーン、ゴルゴーンであるが、文学のなかでは「網をはる女」は、上田秋成の『雨月物語』の「蛇性の淫」の真名子や、泉鏡花の『高野聖』のキルケー的な美女であったりする。

カルメンやサロメやマノン・レスコーといった代表的ファム・ファタルが、いかなる妖術使いであるかを推理していく楽しみもあるが、メジャーリーグではないヒロインを尋ねる横道の歓びもある、そして、「女は子宮で考え、ピアニストは指先で考える」と言っておきながら、安易なパーツ分解をしりぞけるアクアの女王いづみこさんの、更なる語られざる奥義を各人の現場で探究するのも大いに奨励されてしかるべきだろう。しかし、ファム・ファタルの対象、生贄にふさわしい味わいぶかい男たちが、散見するかどうかはこれまた別の難問である。

無邪気と悪魔は紙一重(単行本)
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