【関連記事】「ピアニストが見たピアニスト」東京新聞 2005年7月16日朝刊 文・青柳いづみこ

ピアニストたちの真実 演奏家が演奏家を語ることの意味

六月に上梓した『ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは』(白水社)を、私はつづめて「ぴあ・ぴあ」と呼んでいる。最初の「ぴあ」は書き手の私、あとの「ぴあ」はリヒテル、ミケランジェリ、アルゲリッチなど対象となった六人のピアニストたち。

演奏家が他の演奏家について語ること自体は、そう珍しくもない。演奏会場の片隅でかわされる仲間うちの会話などでは、短い表現で的確にその演奏のありよう、演奏家のコンディションをとらえる。でも、それを公にしたり書いたりするのはタブーとされてきた。

ピアニストは再現芸術家だが、意識はクリエイターだ。音楽は演奏家が弾いてはじめて作品になるのだから。でも、世間一般ではむしろパフォーマーとみなされている。たとえば、よく発せられる次のような質問。「どうしてあんなに速く指がまわるんですか?」「どうして譜面を見ないであんなに沢山の音が弾けるんですか?」。サーカスで綱渡りや空中ブランコを見たとき、奇術師のイリュージョンに接したときの素朴な驚きに似ている。

クリエイターには失敗もまた成功という面があるが、パフォーマーに失敗は許されない。綱渡りや空中ブランコだって、ときに失敗することもあろうが、再度試みて成功にもって行く。イリュージョニストの仕掛けが不発に終わることもあるが、観客に悟られないようにごまかす。同業者の目はごまかせないが、彼らはそれを語らない。

スビャトスラフ・リヒテルは、演奏のパフォーマンス的要素を徹底的に排除しようとした人である。彼は、ホールの照明を落とし、弾いている姿が見えないように工夫した。演奏するリヒテルの躍動感に満ちた身体ほど魅力的なものはなかったが、彼は自分の解釈以外のものに注意が向けられることをよしとしなかった。彼はまた、コンサートは「暗譜ショー」ではないと主張し、ある時期から楽譜を見て演奏するようになった。

売れっ子演奏家の予定は何年も先まで決まっているものだが、リヒテルの理想は、ピアノを積み込んだトラックと共にふらりと旅に出て、ふと立ち寄った町や村で、そのとき弾きたい曲目でコンサートを開くことだった。なんだか、芭蕉や山頭火を連想してしまう。

リヒテルだけではない、「ぴあ・ぴあ」を書くために読んだピアニストたちの資料からも、「クリエイターでありたい」という切なる叫びがきこえてくる。優れた演奏家であればあるほど、霊感が降りたときの自分の威力というものを認識している。

サンソン・フランソワは、いつ霊感が降りてくるかわからないから、いつでもどこでもどんな状況でも弾いた。霊感が降りてきそうなチャンスは逃したくなかった。だから、心身を消耗して、早世してしまった。ベネデッティ=ミケランジェリは逆に、霊感が降りてくるような環境を意識的に準備しようとした。楽器の状態、調律・調整、気温・湿度まで。理想に少しでも欠けるところがあると、キャンセルした。

ピエール・バルビゼは、ヴァイオリニストのクリスチャン・フェラスと一緒に演奏するときだけ霊感が降りてくることをよく知っていたので、フェラスの死後はデュオを封印してしまった。マルタ・アルゲリッチは、ステージに一人で放り出されたときの自分はクリエイティヴになれないと感じてソロを封印し、活動を室内楽に切りかえた。

アルゲリてぶるぶるふるえながら、「ひとつでも音をはずしたら自分は死ぬんだ」とまで思いつめたという。いつも完璧に弾かなければならないパフォーマーのプレッシャーだ。

演奏家としてキャリアを積んでも、ステージの恐怖は毎回、毎回アルゲリッチを襲う。演奏前はあらゆることが心配になる、と彼女は言う。ありえないことを想像して自分で自分を苦しめる。私のような凡庸な弾き手ならいざ知らず、あんな超天才にもそれが起きるのかと、我が身に重ねあわせて愕然とする。そしてまた、それを乗り越えてすばらしい演奏をくりひろげる大ピアニストたちへの畏敬の念がますます強まるのである。

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