【書評】「ピアニストは指先で考える」クラシックジャーナル 2007年026号 評・中川右介(本誌編集長)

青柳いづみこの『ピアニストは指先で考える』は、ピアノを習っている人のための専門誌『ノジカノーヴァ』に連載されていたもの。タイトルに噴き出しそうになった。「指先で考える」のはピアニストだけではない。私も原稿を書き飛ばしたときなど、「指からでまかせで書いた」と言うので、その感覚はよく分かる。とくにキーボードに向かうようになってからは、頭ではなく指先で考えているような気がする。もともとがピアニストとその志願者を読者として想定しているため、先輩から後輩へのアドバイス的な内容が多いし、内輪話的な印象もあるのだが、それがかえって、仲間内の本音のようで興味深い。「コンサートの開き方」「衣装とメイク」などのハウツーもの的要素があり、ピアニストではない者にとっては一種の裏話として読める話もある。

グレン・グールドのように、素人目にもおかしな弾き方をするピアニストについては、「弾き方」、つまり身体動かし方についても論じられることもあるが、普通のピアニストについては、指の動きがどうとか、からだ全体の動かし方とか姿勢については、そう詳細に論じられない。あくまで出てくる「音楽」が論じられるだけだ。そして、どうしてそういう音楽になるのかは、ピアニストの精神的な部分に理由かあるとされてきた。だが、もっと肉体的理由が占める割合が高いはずだな、というのが本書を読んで思ったこと。ピアニストたちは、評論家が、やれ「精神性が高い」だの「卓越した解釈」だの「人間性に深みがある」と書いているのを読んで、きっと、笑っているに違いない。

作曲家はともかくとして、演奏家の場合、基本となるのはあくまで身体。自分の身体をどうコントロールして、自分が表現したい音を出すかが、演奏家に問われるもの。しかし、演奏についての評論は、とかくその「表現したいもの」のほうを重視しがちだ。では、なぜ身体論が少ないのかというと、それはスポーツと同じで、「経験者」でなければ分からない部分が多いからだ。単純に考えても、たとえばベートーヴェンの『熱情』をどう弾くとどれくらい疲れるのかは、たしかに弾いてみないとわからない。

スポーツの場合は、30代ぐらいで選手生活は終わり、あとは指導者になるとか評論家になるしかないので、「元選手にして現在は評論家」がうようよいるが、ピアニストなどの芸術家の場合は、引退するのと死ぬときがほとんど同じなので、「元演奏家で現在は音楽評論家」という存在がそもそもない。といって現役の演奏家は他人の演奏の批評はめっいたにしない。

そこで、演奏家と物書きの両方を兼ねている青柳のような存在は希有となる。やはり、経験者でなければ書けない演奏評論があると思うのだ。これからも楽しみにしたい。

ピアニストは指先で考える(単行本)
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