【書評】「グレン・グールド 未来のピアニスト」レコード芸術 2011年10月号 評・片山杜秀(音楽評論家)

ピアニストと呼ばれる人は、子供のうちに先生につくなりして、何らかの弾き方を身につける。その束縛からは容易には逃げられない。刷り込まれた流儀を一生引き摺り、長所も短所も背負い続ける。その中でレパートリーも生き方も自ずと決まってくる。 グレン・グールドも例外のはずはない。彼の振りまいた思想や美学は二の次。自身がピアニストでもある著者のグールド論のスタンスはそんなところだ。

著者は、残された映像資料等から虚心坦懐に、グールドの身につけた弾き方を探究する。確かに10本の指の分離と運動性は素晴しい。スピーディーかつ明瞬だ。一音一音を際立たせながらそれを線に紡ぐのがうまい。対位法的音薬で声部を弾き分けたら神業の域。しかし、その明快な速度を可能にするのはタッチの浅さだろう。「腰を弓なりにそらせ、背中をやや丸め」て、ビックリするほど「低い位置に座り、両肩を締め」て弾く。鍵盤にごく近いところに陣取ってひたすら指を回す。だからクリアで速い。

でも、そんな縮こまって狭い空間しか使わない弾き方では「肩から腕に伝わるエネルギーが制限される」から「腕から肩から背中、腰までを総動員する近代奏法に比べると」「たっぷりした音が出にくくなる」。和声を豊潤に多彩に、強弱の幅も大きく響かせる、打鍵のヴァラエティを身につけていなかった。全身を使わないのだから当然だ。

バッハやベートーヴェンの構造美を点や線でつかまえるのは上手だが、和声や音色の感覚美、あるいは音量の起伏が命のロマン派音楽を得意曲目にはしにくい。面や量や力を捉えるとなると厳しい。べートーヴェンでもダイナミズムを求められたら困る。基本的に音量に乏しい弾き方のようだから、何をやるにしても大きなコンサート・ホールには向いていなさそうだ。そして、そんな弾き方はもちろんグールド本入によって能動的に選び取られたのではない。師匠のアルベルト・ゲレーロが子供のグールドに刷り込んでしまった。

グールドは身についた弾き方に合うように生きるほかはなかったのだろう。生の演奏会よりも、音量はどうにでも調整できる録音の仕事に徹した方がいい。レパートリーもポリフォニックな楽曲がいい。 著者はそこにひとつの悲劇を見る。なぜなら、録音に聴く若き日のグールドの演奏は、極めてカンタービレでロマンティックだから。ロマン派をもっと弾きたかった人のはずだから。

ところが、それで一流になる弾き方を仕込まれなかった。ゆえにクールなポリフォニストに徹するしかなかった。それに合わせた思想や美学で理論武装もした。でもロマンティックな地はやはり抑えられない。グールドは、クールな演奏をしながら、なぜホットに歌ったのか。本当は、ピアノでしたかったことを声で代償していたのではないか。著者はそのように考えているようだ。 なんと悲しい物語!神様扱いされてきたグールドに一種の「人間宣言」をさせる。そんな本である。

グレン・グールド 未来のピアニスト
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