【関連記事】「グレン・グールド 未来のピアニスト」レコード芸術 2012年5月号 文・青柳いづみこ

特集 再聴 グレン・グールド

グールドの「奏法」と「レパートリー」の関係~不自然?いや、音楽的には自然~

「奏法」は師アルベルト・ゲレーロ譲り

グレン・グールドは、解釈においては唯我独尊だったが、こと奏法に関しては、9歳から師事した師のゲレーロの教えに従順すぎるほど従順だった。グールドといえば、床上30センチという低い位置に座り、ひじをぶらさげ、首を両肩の聞に埋め込み、鼻の先が鍵盤に触れそうな姿勢で弾くことで知られるが、これもゲレーロゆずりだった。子供の頃のグールドを知る門下生は、彼が先生とまったく同じ座り方をするので、みな笑っていたと証言している。デビユー盤《ゴルトベルク変奏曲》の取材で雑誌記者から、「ああいう奏法はかなり弾きにくいのでは?」ときかれたグールドは、「これが先生に教わった方法なので、もう変えられません」と答え、「僕の先生はカナダで最も偉大な猫背なんです」と付け加えている。アルベルト・ゲレーロは、1886年にチリの都で生まれ・サンチャゴでピアニスト、音楽評論家として名をなした入だが、家庭内で音楽教育を受けたほかはまったくの独学だった。同世代には近代ピアノ奏法の開祖が多く、ブエノスアイレスでマルタ・アルゲッチやバレンボイムの父親、 レオナルド・ゲルバーを育てたスカラムッツァは1歳上、モスクワ音楽院でロシア・ピアニズムの元をつくったゲンリヒ・ネイガウスは2歳下に当たる。ネイガウスもスカラムッツァも肩、背中から腕、肘、手首を総動員した重力奏法で多くの著名なピアニストを育てたが、 グールドを指導していた頃のゲレーロは、「純粋に指による奏法」を推奨するオットー・オルトマンの理論を採り入れていたという。

驚異の「指さばき」と「レパートリー」の関係

門下生が伝えるゲレーロの指導法は大変興味深いものである。有名なフィンガー・タッピングは、オルトマンの「指奏法」を習得するためにゲレーロが借用したもので、片方の手で平たくのばした指の第一関節近くを軽く叩くことによって、鍵盤とのコンタクトを鋭敏にし、脳からの指令をすばやく伝達するための練習法である。ゲレーロは他にも、指の瞬発力を養ったり、握力や腕力をつけたり、肩と背中を強くするための独特のトレーニングを開発したらしい。グールドの人間業とは思えないような指さばきは、生来の運動能力にもよるだろうが、ゲレーロの指導によってさらに高められたことは間違いない。ゲレーロは、レパートリー選択の上でもグールトに多大な影響を与えた。バツコードを弾いたゲレーロは、バロック音楽の演奏習慣や装飾音法に精通し、それを生徒たちに伝えていた。

1949年にはグールドへのクリスマス・プレゼントとして『音楽の史的選集』を贈っているが、その中には、グールドがデビュー・リサイタルで弾いたギボンズの鍵盤音楽《ソールズベリー卿のパヴァーヌとガヤルド》もはいっていたという。シェーンベルクなど新ウィーン楽派をグールドに教えたのもゲレーロだった。15歳のころまで「完全な反動主義者」だったグールドは、当初拒絶反応を示したが、すぐにその魅力に目ざめ、他の20世紀音楽にも触手をのばすようになる。バッハ《ゴルトベルク変奏曲》にしても、グールドは一人で学習したようなことを言っているが、この作品を熟知していたゲレーロからの影響が大であるらしい。2段鍵盤のハープシコードを想定して書かれたために、ピアノでは超難曲になり、当時は演奏する人も少なかったが、ゲレーロの仕込みによってグールドの各指の分離は完全で、複雑な声部の弾き分けもハープシコードふうの軽やかなタッチも思うままに再現することができたから、うってつけだった。

弱点はロマン派以降に必要な「本当のフォルテ」と「跳躍」

ゲレーロの指導はグールトの音楽的視野を広め、ひとつの指針を与えたが、同時に、通常のコンサート・ピアニストとしてのキャリアを狭めることにもなった。グールドのたぐいまれな瞬発力、指先の完壁なコントロールは、バロックや古典の作品を演奏する上では大いに有効だったが ロマン派や近代・現代の音楽までカバーしようとすると重量不足は否めない。グールド自身、1959年のインタビューでそのことを認めている。

ベルリンではベートーヴェンを弾いたのに、どうしてモスクワではチャイコフスキーを弾かなかったのかときかれたグールドは、「この座り方はほとんどの点において有利ですが、ひとつだけ欠点がありまして、それは本当のフォルティッシモが出せないことです。チャイコフスキーを弾くには本当のフォルティッシモが要りますからね。あの座り方ではとうてい無理なのです」と語っている。

グールドが苦手としたのは、回転させる、投げる、飛ばすなど腕全体を使ったテクニックだった。両肩を閉めているため、手を交差させる場合はよいが、肩を開く運動にはすばやく対応しにくい。 その違いは、映像が残っているR・シュトラウスの《ブルレスケ》をアルゲリッチと比較してみればすぐにわかる。アルゲリッチの奏法はピアノの理想ともいうべきもので、やや高めの椅子に座り、腰と背中でしっかりと上体を支え、肩や肘を縦横無尽に回転させるフォームで豪快に弾きまくっている。

対してグールドは、速いパッセージでの音の粒立ちはすばらしいが、フォルテで和音を弾くときにのびあがるような姿勢になり、力がうまく伝わらない。腕を回転させようとすると鍵盤につかえてしまうため、背中から力をこめて向こう側に押しやるような動きになる。鍵盤の中ほどをすばやく往復するシーンで、アルゲリッチの腕が放物線を描いて無理なく着地するのに対して、グールドは腕を平行移動させる。定規で量ったような正確さには舌を巻くものの、やや窮屈な感じを受ける。左右の手を激しく交替させるパッセージでも、腰からの力をいったん肩で止めているため、極彩色の響きは出にくいだろう。

「新しい解釈」は.技術的問題の要請が起点?

バーンスタインとの共演で物議を醸したブラームスの《ピアノ協奏曲第1番》の特異な解釈も、グールドの奏法上の制約と無関係ではあるまい。この協奏曲には第1楽章に難所の二重トリルが出てくるので、これを右手一本で見事に鳴らすことが、ソリストたちのステイタスとなる。しかるにヴィルトゥオジティを否定するグールドは、このトリルを書き込まれた音符のようにゆっくり弾き、これに倣ってオーケストラも同じ弾き方をしている。第3主題が呈示された後のオクターヴの連続も、多くのピアニストがスピードを上げ、派手に弾くのに対して、グールドは第1主題のテンポをかたくなに守ってがっちりと弾く。このときのブラームスは、グールドが第1主題と第2主題のテンポの統一を打ち出したため、 従来の名人芸的なアプローチとはまったく異なった解釈となり、ギレリス、ツィマーマンなど以降のこの協奏曲の演奏に大きな影響を与えたが、その裏に、二重トリルを「指奏法」で弾くしかなかったグールド、オクターヴの連続では跳躍に難があったグールドの技術的な問題も見え隠れするのである。

「歌いすぎ」抑制のため「奏法」を活用

グールドの奏法がレパートリーの選択や解釈に与えた影響とともに、グールド自身が、自分の解釈をひきしめるために、独特な奏法を有効に使った例もある。グールドのネイチャーが後期ロマン派にあり、 放っておくと際限なく音楽がのびてしまう傾向にあったことは巻頭で述べた通りである。バッハ《ゴルトベルク変奏曲》でも《シンフォニア》でも、とりくんだ当初は大変抒情的なアプローチをしていた。

歌いすぎる傾向を抑制するためにグールドが使った技法に、クラヴサン奏法の「バトリ」と「ルールモン」がある。「ルールモン」は鍵盤上をグリッサンドのようにすべらせる技法で、クラヴサンの軽い鍵盤を最大限に活かした華麗なテクニックである。《ゴルトベルク変奏曲》でいうなら、第14、第23変奏などで「ルールモン」が使われている。「バトリ」はクラヴサンの2段鍵盤を利用して左右の手を激しく交替させるもので、《ゴルトベルク》では第5、第20、第29変奏などにみられる。こうした技法では運動が連続して行なわれるため、問に個人的な感情の入りこむ隙がない。非ロマン的に解釈したいと思ったらこの奏法を使えばよいということになる。

デビュー1年前に収録した54年放送録音盤での《ゴルトベルク変奏曲》は、ハープシコードなら「ルールモン」を使う場面でもピアノ的に弾かれている。音と音の問に気持ちを込め、テンポを揺らし、細かいニュアンスをつけて機械的にならないように工夫している。「バトリ」の場面でも、ほんの少し間合いをとったり、音色を変化させたりしている。しかるに、55年にスタジオ録音された《ゴルトベルク変奏曲》では、クラヴサン奏法を駆使することによって拝情性を排し、アポロン的な美しさに昇華させた。「ルールモン」では、見事に粒の揃った音が次々にくり出される快感がある。「バトリ」でも、左右の手が交替する華やかさできき手の耳を満たす。クラヴサン奏法を使うことで素材そのものの魅力が伝わってくる。

古典派以降の音楽にもクラヴサン奏法を応用

グールドは、バロック以外のスタイルにも、ときどきこのクラヴサン奏法を応用することがあった。 たとえば、物議をかもしたベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第32番》の第1楽章。グールドの評伝を書いたオストウォルドによれば「自動ピアノを最大速で動かしたような、非人間的と言うべき音楽」になってしまった最大の原因は、16分音符のパッセージをピアノ的に指を保って弾くかわりに、音を連続させた「ルールモン」奏法を応用したからだ。

吉田秀和が「ばかげて速い」と評した同第5番の第1楽章でも同じことが起きている。主和音の後、分散和音で上行する付点のついた動機は、本来なら16分音符をしっかりタッチし ベートーヴェンらしい力感を強調するところだが、グールドは4分の3拍子の1小節を1拍のテンポでとり、動機全体をまるで装飾音のようにひっかけて弾いている。どちらのソナタもハ単調。感動的な《運命交響曲》の調性である。グールドは、どうしてこの奏法を選択したのだろう。もしかすると、普通の弾き方をすると思わず知らず感動的に弾いてしまい、”グールド”のイメージが崩れるのが怖かったのかもしれない。

さらに猫背に.いっそう低く。晩年のグールド

19歳でゲレーロのもとを去ったグールドは、生涯にわたって基本的な奏法を変えることはなかった。 32歳でステージ活動から引退すると、ますます背中を丸め、ますます鍵盤におおかぶさるようにして弾くようになった。彼が低い椅子を好み、楽器に近づいて座ったのは、そのほうが指先をコントロールしやすかったこともあるが、なにより指の運動量が少なくてすむからだろう。鍵盤から離れて座ると、 手首や関節の位置が高くなり、そのぶん指の上下運動が増す。指を上げ下げさせるためには、 それだけ指の練習や弾き込みが必要となる。

しかし、音楽する上でなるべく「ピアノを弾く」行為から離れたかったグールドは、鍵盤にふれすぎると演奏が「指の都合」に支配され、頭の中で鳴っている音楽のイメージが損なわれるとしてこれを嫌った。グールドがアフタータッチの多いピアノを嫌い、鍵盤に触れるやいなや発音するアクションを好んだのも、脳からの指令をすばやく伝えたかったからにちがいない。一見不自然にみえるグールドの姿勢や奏法は、彼の音楽をもっとも自然に表出するための手段だった。その奏法がコンサート・ピアニストとしてのレパートリーに制限を与え、大きな会場では必ずしも期待された効果をあげないことをよく知っていた彼が、活動の場をレコーディング・スタジオに限定したのは当然のなりゆきといえよう。

グレン・グールド 未来のピアニスト
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