【書評】「ピアニストが見たピアニスト」週刊ポスト 2005年9月2日号 評・井上章一(国際日本文化研究センター勤務)

ブックワンダーランド

音楽好きの読書人に一読をすすめたいプロが語るわかりやすい”楽屋トーク”

マルタ・アルゲリッチは、ピアノの鍵盤をひっかくくせがあるらしい。鍵盤へ指をおとし、そのまま手前にかきよせる。はやいフレーズは、その連続動作でこなしているのだという。あのおどろくべきスピードは、それで可能になっている。ただ、一度根元の関節でとめて、つぎへつなぐ作業は、ややもするとおろそかになる。タッチが不鮮明になり、その部分がぼやけてしまうこともあるらしい。

サンソン・フランソワは、指を平たくのばしたまま、ピアノをひくことがある。指はまげてという、アカデミックな方針には、かならずしもしたがっていなかった。おかげで、曲によっては、ゆたかな表情がかもしだせるようになる。また逆に、技術的な難点が克服しきれない場合も、ままあった。アマチュアの音楽愛好家では、まず気がつかない。かなり奥深い技術論が、のべられている。プロはこういう水準で、たがいの演奏を聴いているんだなと、感心させられた。そして、そんな裏話を著者は私たちにわかりやすい言葉で、おしえてくれる。楽屋トークを、たのしませてくれる。その点だけでも、読みごたえはじゅうぶん。お買い得だと、うけあおう。まぁ、これを読んでも、アルゲリッチの技術的な難点を、聞きとれるわけではないのだが。

そう、この本に書いてあることは、けっきょく体感しきれない。言葉ではわかる。頭では理解する。そして、たいへんおもしろくうけとめられた。しかし、けっきょく、その勘どころにはこちらの耳がとどかない。その点では、くやしく思いもした。私も、ピアノのコンサートへおもむくことはある。その多くはジャズだが、CDもよく聴く。そして、その感想で、一人前の演奏評を口にしたりもする。だが、それもしろうとの論評である。著者のような耳をもった聴き手には、的はずれな指摘も多かろう。演奏評だけは書くまいと、あらためて心に言いきかせたしだいである。

余談だが、先日、近所から聞こえてくるピアノの音、おけいこの音に感動した。職場でうんざりするような会議があり、気持ちがすさんだまま、帰路につく。その途上で耳にした音が、胸をうったのだ。上手なピアノではない。音は、私でもはっきりわかるぐらいに、稚拙である。しかし、へとへとになっていた私の心は、そこに音楽を聴いた・・・。こういう感銘を、プロの演奏家たちもあじわうのだろうか。機会があれば、著者にもたずねてみたいところである。技術面がのみこみきれない腹いせで、意趣かえしめいたことを書いてしまったが、おとしめるつもりはない。

この本は、「フランス的」な音、「ドイツ的」な音をめぐっても、いろいろ考えさせてくれる。尾崎豊とアルゲリッチの対比もおもしろい。音楽好きの読書人には、一読をすすめたい本である。

ピアニストが見たピアニスト—名演奏家の秘密とは(単行本)
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